こんな時がくるとは





  『こんな時が来るとは』

 執務室に戻るなり手にしていた書類に気付いて、ジェイドは眉を寄せた。部屋に戻る前に調べたい事があったのだが、その事をすっかり失念していたのだ。
 平和ボケですかねぇ。  小さく呟いて、入ってきたドアをそのまま開く。
 まさか直ぐ外に人がいたとは思わず、危うくジェイドはぶつかりそうになった。
「…っと。いたか、ジェイド」
「陛下…。こんな所で」
 一体何をと問う間も無く、ピオニー特有の朗らかな笑顔で腕を取られ、言葉を遮られる。
「ほら行くぞ、ジェイド」
 ピオニーの強引な性格は、分かってはいるがジェイドも呆れる強引さだった。
「行くって…何処にです? 私はこれから調べたい事があるんですが」
 これ見よがしに手にしてる書類を掲げて見せる。ふんと、ピオニーはそんな事どうでもないと笑った。
「放っておけ。ブウサギに子供が生まれたんだ。かわいいぞ、見に行こう」
「ブウサギ、ですか。それはそれは…」
 ジェイドにとっては、それこそどうでもいい事だ。だがそれを素直に言えないのは、
「俺と出掛けるよりも、大切な用だと言うのか、ジェイド?」
 覗き込むように視線を合わせ、自身に満ち溢れた笑顔で問われるからだ。
 誰が逆らえる。
 ジェイドは大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「しょうがないですねぇ。お供しますよ」
 せめて態度だけでも、嫌々なのだと見せておきたい。逆らえないと、ピオニーにはとっくに見破られてはいるのだろうが。小さな矜持だ。
「それは邪魔だな、待ってるからおいて来い」
 書類を指して、ピオニーが言う。
「分かりましたよ」
 机の上に書類を置いて、ふと、そういえばここに、この部屋に、ルーク、ガイ、ティア、アニス、ナタリアのメンバーが、訪ねて来た事があったのを思いだす。
 あの頃は皆、世界の混乱に揉まれそれぞれ心の安静など有り得なかった。振り払っても振り払っても、絶えず心の片隅に暗く晴れない闇が、住み着いていた。誰かを犠牲にして得られる平和な世界。に、存在する人間と存在出来ない犠牲にされる人間。葛藤も、絶えず渦巻いていた。だと、いうのに今は違う。
 ローレライを解放した今となっては。
 コンコン、とノックの音がジェイドの物思いを吹き払った。
 顔を上げると、壁に寄り掛かったピオニーがドアをノックしていたのだと知れる。ジェイドの意識を向けさせる為に。
「書類を置くのに何をそんな時間をかけているんだ、お前は」
 少し呆れたようにいう。彼も、ダアトでルークに苦言を呈した人間の一人だ。なのに今は、ブウサギの子供を見ようと、ルークに決意を迫った口で、言う。
 ふふ、とジェイドは薄く笑った。
「今、行きますよ」

 世界は今、平和そのものだ。